JEFE (2003 2/15)
「私の家の近くにJEFEという犬がいるんですがね。」

切れかけの明かり、むせかえるような煙草の煙、たった1つしかないソファーでよだれを垂らしながら愛し合うレズビアン。名も無き寂れたバーで、ピエロの格好をしたそのバーテンダーは俺の注文を聞き、それからゆっくりと話し始めた。

「白いダックスフンドでね。それだけでも珍しいんですが、彼は星型の模様を持ってるんですよ。」

「ほう。」

「彼は私や他の人たちに色々な話を聞かせてくれます。まあほとんどは彼の妄想で、私は適当に聞き流すだけなんですが。」

「犬だよね?」

「犬です。」

「話すの?」

「この街ではよくあることですよ。」

「…そうなんだ。」

俺がそう言うとピエロは少し間をおき、ウォッカを手に取った。薄ら笑いを浮かべるその瞳がライトで青く光る。

「そのJEFEが初めてこの店に来たときのことです。」

「犬だよね?」

「犬です。」

「酒、飲むの?」

「人のおごりでしか飲みませんが。」

「いや、大事なのはそこじゃなくてさ・・・。」

「その日、彼は相当悩んでいる様子で私に語りかけてきました。『俺、あかんわ。』と。」

「犬だよね?」

「はい。」

「関西弁?」

「兵庫出身らしいですよ。」

あり得ない。本当のところ、犬がしゃべる時点であり得ない。
しかし目の前のピエロは平然とした顔で俺にソルティ・ドッグを差し出し、話の続きを始める。どうやら話したくてしょうがないらしい。

「彼もソルティ・ドッグを飲みながら私に悩みを打ち明けました。『俺、あかんわ。』ってね。『マジへこみやー』とも言ってました。
何がそんなに彼をへこませたのかは私にも分かりかねたのですが、最後の最後で言ったんですよ。
『童貞って言われた』と。」

あたりに沈黙が流れる。

「そんなことを気にする犬もいるんだなあと、なにか感慨深いものがありましたね。」

ピエロはグラスを手に取り、慣れた手つきで拭き始める。
それにしても、『感慨深い』は違うだろ。そう思いながら俺はカクテルを流し込んだ。

しばらくして入り口のドアが開いたかと思うと、そこにいた九官鳥がピエロに向かってわめき立てた。
「木戸!童貞ガ来タゼ!木戸!」

「まったく、口の悪い奴ですよ。」
そう言ってピエロはまた薄気味悪い笑みを浮かべた。