2003 4/1
道を歩いてると、建設途中のビルの側に1人の男の子がいるのが見えた。 白いシートに囲まれてビルは全然見えないのに、 男の子は両腕をぐるぐる回して、何か一生懸命叫んでいる。 近づく私に気付いた男の子は、忙しそうな手を止めてこちらを振り向いた。 「はいはい。危ないから早く行って。」 「あの、何してんの?」 「何ってビル建ててんだよ。」 「ふーん。」 「分かったら早く離れて。」 「あのさ。」 「まだ何かあんの?」 「これって何のビル?」 男の子はそれには答えずにまたビルの方を向いて腕を回し始める。 そして力一杯叫んだ。 「伸びろー!」 私もなんとなくビルを見上げて「伸びろー」ってつぶやいた。 晴れ渡った空を、飛行機が横切っていった。 2003 4/3 目が覚めたら自分のベッドが大きな舞台の上にあることに気付いた。 まわりを見ると観客席が満員になってる。 「あ、起きたぞ!」 観客の1人が叫ぶと、だんだん他の人たちが騒ぎ始めた。 観客席の一番前の席にはなんだか偉そうな人とアナウンサーっぽい人がいる。 アナウンサーも私が起きたことに気がついたらしく、 マイクに向かって熱い口調でしゃべり始めた。 「あーっと!エントリーナンバー12、山本選手ここで目が覚めました! 今日の解説は寝起きを見続けて30年の根本さんです。根本さん。」 「はい。」 「いかがですか?今の寝起きは。」 「…素晴らしい。」 「…」 「素晴らしい寝起きですよ。」 「具体的にはどこが良かったですか?」 「まず、目を覚ましてからこちらを振り向くまでの間合いが最高です。」 「なるほど。」 「萌えます。」 「…」 「はっきり言って。」 「はい。」 「そしてあの寝ぐせですよ。あの微妙な角度での立ちっぷりはまさに職人技です。」 「ええ。」 「私も30年寝起きを見てきましたが、あれほどの寝起きは…」 「珍しいですか。」 「16年前に見た、アメリカのジェフリー選手以来ですよ。」 「それはすごい!」 「ジェフリーは31歳でね……」 2人が話している間、観客は大盛り上がりでスタンディングオベーションしてた。 話が長くなりそうだったから、私はまた布団の中に潜り込んだ。 2003 4/5 今日は雨だった。 ピチャピチャと歩いていたら向こうから地井さんが歩いてくるのが見えた。 地井さんは普通のサラリーマンだけど、雨の日はちょっと違う。 「地井さん、おはようございます。」 「や、おはよう。」 「キィーッ!」 「地井さん、相変わらず元気ですね。その傘。」 「ああ。今日も僕の血を狙ってる。」 そういって地井さんは自分のこうもり傘を見上げて困ったように笑う。 「まったく、可愛いやつさ。」 「どこで買ったんですか?それ。」 「東急ハンズ。」 「そんなものまで売ってるんですか。」 「限定品だけどね。僕は運が良かった。」 私は2月の終わりにお父さんが買ってきた安打製造器のことを思い出した。 「何でも売ってるんですね。東急ハンズって。」 「何でも売ってるよ。」 そういった地井さんの首筋には、何かに噛まれたような小さな傷があった。 2003 4/7 家でテレビを見ていたらチャイムが鳴った。 扉を開けると上松博士が立ってた。 上松博士は少し興奮した様子で私に話しかけてきた。 「出来たよ。ついに。」 「何がですか?」 「君、今日は何の日だか知ってるかい?」 「えーと…」 「アトムだよ。」 「あー。」 「そして、私がアトムを作った日でもある。」 「作ったんですか。」 「ああ。これだ。」 そう言うと上松博士はポケットをごそごそやって小さなロボットを取り出した。 手のひらにすっぽり収まるくらいの大きさのロボットで、頭にボタンが付いてる。 どう見ても昔流行った超合金のおもちゃにしか見えない。 「それがアトムですか。」 「アトムだ。」 「10万馬力の。」 「鉄腕だ。」 「…」 上松博士は少しヤバいと感じたのか、おもむろにロボットの頭のボタンを押した。 ロボットの目がピカッと光り、口がパカッと開いた。 「コンニチハ。」 「…」 「ボク、アトム。」 「あの、私忙しいんで失礼します。」 「口、動いてんじゃん。」と博士に突っ込む気にもなれず、 私はコーヒーを淹れに台所へ向かった。 2003 4/10 目が覚めて、朝食を食べにリビングに行った。 扉を開けようとしたとき、中から話し声が聞こえてきた。 おかしい。お父さんはもう仕事に行ったはずなのに。 しかも聞こえてくる声は女の子の声だ。 というか私っぽい。 「お母さん、今日も綺麗だねー。」 「やだ、何言ってんのこの子は。」 「いや、ホントだよ。」 「早く食べて学校行きなさいよ。」 「あー、お母さんの子供で良かったー。」 「はいはい。」 2人はあり得ない会話を交わしながら友好を深めていた。 「学校、どうしよう。」 言ってみたけど、今の私には食事の方が重要な問題だった。 朝はまだちょっと寒い。 2003 4/11 今週から新しいクラスで授業が始まった。 仲良しのミキと離れてしまって、私の席の後ろにはなんだか暗ーい感じの女の子。 これからは授業中に悪戯も出来ないなぁ。 なんて思ってたら、歴史の授業中に後ろから肩をトントンと叩かれた。 振り向こうとすると1枚の小さな紙が私のほっぺの横でぴらぴらしてる。 後ろの子は何も言わない。 とりあえず受け取って紙を見てみた。 こんなのが書いてた。 『信長キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!』 眺めてると不意に風が吹いてきて、 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!の顔文字がひらひらと教室を舞う。 私はそれをなんとなく見送りながら「禿同。」と小さくつぶやいた。 休み時間が待ち遠しい。 2003 4/14 いつものように河原で犬を散歩させていると川に何かが浮かんでるのが見えた。 少し距離があるけど、よく見ると少年だった。 少年は無表情な顔を上に向けて、ただぷかぷかと浮かんでる。 気になったから話しかけてみた。 「何してんのー?」 少年はゆらゆら揺れながら空に向かって答えた。 「浮かんでんのー。」 「何で浮かんでんのー?」 「土左衛門になりたいからー。」 「何で土左衛門になんかなりたいのー?」 「べつに土左衛門じゃなくてもいいのー。」 「何てー?」 「昔の人になりたいのー。」 夢見る少年は水の上でただぷかぷか浮かんでる。 明日土左衛門が浮かんでるのを見つけるのも嫌だったから、 私は少年の夢を壊さないように教えてあげた。 「土左衛門ってさー。」 「うんー。」 「めっちゃ格好悪かったんだってー。」 「ほんとー?」 「だってかなりデブだもんー。」 「じゃ明日から石川五右衛門になるー。」 私は「がんばってー」と言って、また歩いた。 少年は何も言わずにぷかぷか浮かんでいた。 2003 4/17 朝、教室に入ったら保健委員のミズノ君が窓際にいた。 「おはよう。」 「…はぁ…」 ミズノ君はため息をついて窓から外を見る。 「どしたの?」 「朝メシ食い過ぎちゃってさ、腹痛えの。」 「ほう。」 「だから今出してんの。」 そう言ってミズノ君はお腹をぽんと叩いた。 水がぴゅっと出てきた。 「やべ。まだ出るよ。」 ミズノ君がお腹をぎゅーっと押すと水がぴゅーっと流れ出る。 窓の下を見ると小さな水たまりが出来ていた。 水はなかなか止まらない。 「あんた、何食べたの?」 私が言おうとすると、ミズノ君の口から鯉の尾っぽが出てきた。 鯉は水の流れに逆らってバシャバシャと尾っぽを振る。 鯉の滝昇り、初めて見た。 すげー。 「おおおおおおおおお!」 ミズノ君も鯉に気がついて一生懸命お腹を押す。 私は「がんばれー」と言いながら自分の席へと向かった。 「鯉、がんばれー。」 2003 4/19 俺は今迷っている。いつもの寂しい食卓。それすら幸せだと思えるほどに。 炊いてから時間が経った米をレンジにかけ、それにレトルトのカレーをぶちまけて食う。独身男の食卓によくある風景であり、書くほどのこともない日常なのだが、しかし今日ばかりはいつもと違う。 何が原因かといえば、この小さなテーブルに皿と一緒にちょこんと座っているちっちゃいおじさんだ。 いつの間にか皿の向こう側に座っていたサラリーマン風のちっちゃいおじさんは全く微動だにせず、2枚のプラカードをこちらに向けてじっと待っている。 危なかった。もう少しでカレーにスプーンを突っ込んで食うところだった。俺はそれを幸運に思いながらも、与えられた試練の大きさに汗がにじみ出るのを感じていた。俺もまた微動だにせず、プラカードの文字をもう一度確認する。 【カレー】 【うんピー】 間違いない。何度確認してもプラカードにはそう書いてある。そして俺は決断しなくてはならない。この皿の上にあるものがカレーなのか、うんピーなのか。 もちろん、レトルトのカレーが実はうんピーだったなどというのはあり得ない話であり、漂ってくる匂いは間違いなくカレーなのだが、同じくあり得ない存在である身長3cmほどのちっちゃいおじさんが俺の思考を狂わせるのだ。 もしかしたらカレーの匂いのうんピーかも知れない。 もしかしたらカレー味のうんピーかも知れない。 もしかしてもしかすると、カレー混じりのうんピーかも知れない。 そう思うと俺はどうしてもスプーンを皿に近づけることが出来ず、目の前のちっちゃいおじさんの顔色をうかがうのだが、ちっちゃいおじさんはかなり営業慣れしているようで、そのポーカーフェイスを崩すことがない。 しかしいつまでもこうしているわけにもいかない。そろそろ決着を付けよう。 そう思って俺がスプーンを皿に近づけたとき、ぱたんと小さな音がした。見るとちっちゃいおじさんが片方のプラカードを落としてしまったらしく、慌ててしゃがんでいるところだった。 けれど【うんピー】のプラカードはしっかりと手に握られていた。 2003 4/22 学校の帰り道を歩いてたら男の人が倒れてた。 そばに寄って見てみると、かなりの勢いで死んでた。 多分高いところから落ちたんだろう。 その証拠に彼の背中には立派な白い羽が生えてた。 私がじっと死体を見ていると、どこからかおじさんがやってきてこう言った。 「君がやったの?」 「いや、なんか落ちちゃったみたいですよ。」 「そうなんだ。ふーん…」 おじさんは私と同じようにじっと死体を見て、 それから意を決したかのように私の方を向いた。 「お嬢さん。」 「はい。」 「これ、もらっていいですか?」 「はい?」 「ここにあってもしょうがない。」 「まあそれはそうですけど…」 「じゃ、もらっていいよね?」 「はぁ。」 私の答えを聞くとおじさんは嬉しそうに死体を担いでどこかへ行ってしまった。。 私は血だらけの地面を見つめながら「あの羽、綺麗だったなぁ」と思った。 惜しいことした。 2003 4/24 「さて…」 その日の夜、小さな街で行われた小さな劇団による小さな劇場での半年間に及ぶささやかな公演が終わりを告げると、客席のちょうど真ん中に座った団長であるところの【彼】は、自らの創り出した団員による演技に満足した顔で立ち上がり、ぼそりと誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。 「記念日、楽しんでいただけましたでしょうか。」 舞台の上ではカーテンコールが始まり、主人公の少女が一歩前に出るとパラパラと拍手の音がする。少女はまるで観客一人一人を対象とするかのように、深々と、そして何度も頭を下げる。 彼はゆっくりと歩き出した。酒が飲みたかった。まるで劇場の外が晴れなのか雨なのか、はたまた曇り空なのか。それがもっとも大切なことなのだといった様子で出口へと向かう。その間にも拍手の音は続いていたが、彼は一度も振り返ることなく重い扉を押し開いた。 外が天気予報の通り雨だったことに彼は悪態をつき、出かけに傘を持ってこなかったことを後悔するのだけれども、それが意味の無いことだと分かると真新しい靴でまた一歩踏み出し、卑屈な笑いを浮かべ、そしてタバコに火を点けるのだった。 「お疲れさま。」 誰もいないはずのロビー。いるとすれば大道具担当の若い男二人(顔は思い出せない)が仕事の終わりを待ちわびて、缶コーヒーでも飲みながらうだうだとくだらない話をしているだけだろうと思われたのだが、タバコの煙の向こうにある顔は彼のよく知っている人物のものであり、数秒前、カーテンコールで舞台の上にいたはずの物語の主人公であった。 「ああ。」 「びっくりした?」 少女は悪戯っぽい笑顔で、まるで次の彼の台詞を完全に知っているかのように、それでもただゆらゆらと左右に体を揺らしながら自らが勝利する瞬間を待った。 彼は少女に屈服し、忌々しそうに吐き出す。 「とにかく私の一番の失敗は、あなたのドッペルゲンガーなんてものを書いてしまったことですよ。」 少女が手を差し出し、彼はそれに答えた。軽い握手が終わると彼はまた窓の外に目をやり、この天気はまったく終演記念日にはふさわしくないと考えた。 「もし私が今日この日の台本を書いていたなら…」 「書いていたなら?」 「ここは絶対に晴れだ。」 「そう?」 「私ならそうします。絶対に。」 少女が背後にある窓に顔を向けると彼はその横を通り過ぎ、まるで死刑囚が処刑場に向かうときのような、そんなどうしようもない表情で外への扉を開く。 「第一、私が傘を持っていないなどという設定は…」 少女は彼が雨そのものを嫌いではないことを充分に知っていたし、仕事の後に吸う一本のタバコが彼にとって至福の瞬間であることもまた理解していたので、彼の今の気分が少女に見せた顔ほどひどいものではないのだと判断し、それから仕事を終えた安堵の溜め息を一つ。 「またいつかお会いしましょう。」 彼が別れの挨拶として使った言葉を少女もまた使ってみたのだが、それは彼が考える希望を含めた挨拶としてではなく、確信として。 |